にいつ夏まつり
安土桃山時代初期の天正元年3月(1573)、金津から新津の“楯之腰”(下山谷)に新しく新津城を築城された折、堀出神社も城外に遷座し封内の産土神としました。その時の第14代“新津丹波守勝資”がそれを祝い地域発展を祈り文化的行事として京都祇園風の祭り屋台と祭り囃子を移し今日に伝えられています。そうした静かで、きらびやかな京都風の祭りが江戸時代末期、特に明治以降、石油の噴出と地域の繁栄と共に祭り自体が江戸風の元気のよい荒っぽい祭りに変化して現在に至っています。なお、民謡“新津松坂”も祭り屋台と共に伊勢松坂から天正年間に移入されたと伝えられています。