Q1 堀出神社の始まりは、どのくらい前ですか? A 鎌倉時代初期の天福元年(1233)頃、初代“新津越前守信資”が金津城構築の際、 地中から男女二神像を掘り出され、祠を建ててこれを祀り、 堀出大神と奉称したのが始まりとされていて 今日にいたるまで新津郷の総鎮護として郷民達の崇敬が厚く親しまれています。 (新津郷鎮護 堀出神社 新潟県新潟市秋葉区新津本町3-14-6) |
Q2 堀出神社の祭礼が始まったのは、どのくらい前からですか?祭り屋台はいつ頃から祭礼に出たのでしょうか? A 安土桃山時代初期の天正元年3月(1573 )、金津から新津の“楯之腰”(下山谷)に 新しく新津城を築城された折、堀出神社も城外に遷座し封内の産土神としました。 その時の第15代“新津丹波守勝資”がそれを祝い地域発展を祈り文化的行事として 京都祇園風の祭り屋台と祭り囃子を移し今日に伝えられています。 そうした静かで、きらびやかな京都風の祭りが江戸時代末期、特に明治以降、 石油の噴出と地域の繁栄と共に祭り自体が江戸風の元気のよい荒っぽい祭りに変化して現在に至っています。 なお、民謡“新津松坂”も祭り屋台と共に伊勢松坂から天正年間に移入されたと伝えられています。 |
Q3 祭り屋台は7台あって、一之町・二之町・三之町・四之町・停車場・上善道・新町で間違いありませんか? A 昔は山谷を含めて8台あり、一之町・二之町・三之町・新町の4台が屋台で、四之町・停車場・上善道・山谷は山車でした。 現在は屋台7台と栄町神楽です。今は万灯神輿も参加しています。 |
Q4 祭り屋台で演奏される祭り囃子に何か大きな特徴はあるのでしょうか? A 京都から天正年間(1573〜1592)に祭り屋台と共に移入されたと伝えられ町内毎に一調子づつ、 ずらされていると伝えられています。京都祇園の格調をひいて品位があります。 |
Q5 祭礼は8月19日が宵宮祭で、この夜に宮参りが行われ当番屋台が軍配を拝領するので間違いありませんか? A 宵宮祭の宮参りの際この年の当番屋台に軍配が授与され屋台巡行を取り仕切ります。 |
Q6 各町祭屋台が子供達に曳かれて市内巡行している頃、神社では発輿祭が行われますが、これは何時頃なのでしょうか? また、この祭典は御神輿出発に先立ち御霊代を御神輿に移す儀式でいいのでしょうか? A 発輿祭は午前11時30分から祭典を行います。御霊代を御神輿に移して出発する儀式です。 |
Q7 8月20日の夜は屋台まつりの還御祭で宮上りが行われる日でしょうか? A そうです。夜、本町通りを神輿渡御のおかえりに祭り屋台も同行します。新津名物夜祭りです。 |
Q8 万灯神輿も宮上りに参加するようですが、これは比較的新しいものでしょうか? A そうです。昭和61年から始まり県内各地から参加されています。 |
Q9 祭り屋台の宮上りは、新町から7台出発するのでしょうか? A そうです。夜7時、新町の第二小学校前の御旅所で栄町神楽が奉納され栄町神楽の先導で出発し 駅前を通り本町通りを巡行して神社に戻られます。 |
Q10 祭り屋台が押し合い賑やかにもみ合うのは御神輿の巡行を遅らせ少しでも長く神様から町内に留まって頂く為でしょうか? A 還御祭の神輿渡御は1年に1回の神様のお出ましであり少しでも長く町にいてもらいたいという 住民“氏子”の願いの表れでしょう。農産繁栄・郷民安全・地域繁栄の祈りがこもっています。 賑やかな祭りこそ街発展の歴史であります。 |
Q11 屋台まつりが最高潮に達するのは本町通りに進んだ頃でしょうか? A そうです。夜、本町通りを通行止めにして行われ最高潮になります。凡そ午後8時から10時頃になります。 |
Q12 堀出神社前に7台の祭り屋台が集まり神楽の舞い込みが行われると屋台まつりは終わりなのでしょうか? A 午後11時に神社前交差点に祭り屋台と祭り若衆が集結し栄町神楽の舞い込みで最後の奉納があり 祭り若衆の手締めと祭り囃子に送られて御神輿は神社の中に入ります。それから御霊代は御本殿に戻られます。 |
Q13 当日祭は21日に行われますか? A 8月21日 午前11時から斉行され各町からの参拝後、午後1時から御神楽の奉奏があり、 この後、本殿の扉が閉じられ堀出神社例大祭が終わります。 |
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